愛球人はてなブログ。

「ラブライブ」(μ’s、Aqours)、「ハチナイ」(和歌山、きのくに未来学園高校)、「俺の甲子園」(和歌山、国立きのくに未来学園高等学校)を中心に、「マイペース」に「想いのまま」を綴らせて頂くブログです。スポーツ、映画、音楽の感想についても、このブログで言及させて頂くことがあります。

【ハチナイ】「#有原翼生誕祭2021」、いつか訪れる翼ちゃんたちの物語の集大成を大スクリーンで叶えて欲しいです(その2)!

 こんにちは。愛球人と申します。

  「ハチナイ」の本格的なブログエントリー記事、第15回は、

 「『#有原翼生誕祭2021』、いつか訪れる翼ちゃんたちの物語の集大成を大スクリーンで叶えて欲しいです!」です。

 

 今回は、「ハチナイ」のいままでのエントリーとはテイストが異なり、選手編成的なことはほとんど言及しません。

 趣旨は、いわば「タイトルの通り」で、基本的に「物語、キャラとしてのハチナイ」に光を当てて綴らせて頂こうと思います。それと、他作品のことを織り交ぜながら文章を進めさせて頂く感じになります。

 では、(その2)の本文を綴らせて頂きます。

 

 

 

 

 いま、改めて、3月3日の「#有原翼生誕祭2021」での4つのツイートの4つ目を、リンク添付させて頂きました。

 

 自分はこの日、映画館で3作品をはしごしていました。このうち2作品が、今回が人生で初めてになります「DOLBY CINEMA(ドルビーシネマ)」です。

 いわゆるフリーランスの立場ですので、時間のサイクル的に平日での映画鑑賞ができます。というか、応援上映とかでなければ、できるだけ平日に映画鑑賞を(しかも朝一あるいはレイトショーで)、という感じにだんだんなってきていますし、現在の「コロナ危機」突入後は、できるだけ平日の午前に、となっています。

 まあ単純に、平日は座席が、わりと空いていますので。自分は基本、最後列で鑑賞させて頂くのですけど、あまり気を遣わないようにという想いからなんですよね(しかも最後列ですと「全体を見渡せる」感じで)。

 

 今回訪れた映画館は、「梅田ブルク7」。この映画館での鑑賞時はアニメ映画が結構多い感じで、今回もそうでした。今回鑑賞した3本は、いずれもアニメ映画です。

 ちなみに今回の3本は、いずれも既に1回鑑賞していて、2回目の鑑賞でした。

 

 

 [1本目](『美少女戦士セーラームーンEternal 後編』[84分])

 (シアター1[DOLBY CINEMA])

 

 自分にとって「セーラームーン」は、人生の原点の一つです。

 子ども時代の自分は、アニメを見ることがほとんどありませんでした。理由はいくつかあります。

 

 ・自分の周りが「アニメ、漫画は教育によくない」という考えが主流だった。

 ・自分自身が、絵柄によって合う合わないが激しかった(これは現在もそう)。

 ・中学受験、その後の学校生活の影響で、アニメの話自体があまりなかった。

 

 主としてこの3つです。実際、自分が子ども時代に親しめたアニメは数本で、

 「魔女の宅急便」「となりのトトロ」「ルパン三世シリーズ」「魔法使いサリー」「美少女セーラームーンシリーズ」。

 このあたりですかね、あとは「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」も時折見ていましたけど。「魔女の宅急便」は、いまでも再放送が流れると心のテンションが上がりますけど。

 

 で、「セーラームーンシリーズ」。自分は男性ですけど、不思議にもこれは夢中になって見ていました。土曜日の19時ですから、野球中継があるはずですけど、それでもこのときは見せて頂いていたなあという記憶が。

 中学受験のため、確か「S(第3シリーズ)」でドロップアウトでしたけど、1992年~1995年(つまり「小学2年生~4年生」)、いまにして思えば、自分が「本質的にはオタクであった」原点であるのです。

 

 2015年夏にラブライバーになって、μ’sのファイナルライブが終わった直後から、NHKBSプレミアムでの「セーラームーンR(第2シリーズ)」の再放送をずっと見ていました。子ども時代の自分を思い起こせた感じで、「無意識的に封じ込めていた自分を解放できた」感覚で見ていたんですよね。

 今回の劇場版の源流である「Crystal」は観ていませんし、今回の劇場版は、子ども時代当時でいう「SuperS(第4シリーズ)」に該当しますけど、「SuperS」のときは既にドロップアウトした後ですので、なおさら楽しみにしていたんですよ。

 

 前編は3回鑑賞していて(緊急事態宣言中でしたけど、セーラームーンだけは一ファンとして「特別な作品」でしたので例外の感覚。ちなみに3回目は、後編の1回目の鑑賞とセット鑑賞でした)、ハチナイのランクマ終了を待って、後編を鑑賞。

 作品自体は、ファンである自分的には「やっぱりセーラームーンが原点でよかった」と再確認できる作品です(前編は正直「ファンムービー」の感が拭えませんけど、後編は一つの映像作品としてとても秀逸になっていると映ります)。

 

 で、いつか、「DOLBY CINEMA」の鑑賞は叶えたいと思っていたんですよ(ULTIRA、TCXは何回か経験してますけど、DOLBY CINEMAは外国映画の比重が大きくて[外国映画の経験自体が自分はわずか1回]、ですので今回が初めてでした)。

 それがまさか、自分が大好きな作品で叶うだなんて感無量だよと。尤も今回の「セーラームーン」は、上映前にがっつりと

 「本作品はDOLBY CINEMA対応作品ではありません。」

 と書いていましたけどね(苦笑)。

 

 でも、いざ「DOLBY CINEMA」初鑑賞に臨むと、いつも以上にスクリーンに没頭できる感覚になるんですよ。音が、特に低音域及び中音域がよく響く、そして大画面サイズ。スケールがすごいなあと。これでいつの日か、「DOLBY CINEMA」対応作品の鑑賞が叶ったらどうなるんだろう、と感じたんですよね。

 

 

 [2本目](『プリンセス・プリンシパル Crown Handler 第1章』[54分])

 (シアター6)

 

 全6章で構成されると公表されている劇場版シリーズの第1作。

 2017年にテレビアニメでしていますけど、このときは観ていません。

 ではこの劇場版を見ようと思ったきっかけは、コロナ危機の直前での、予告編。

 (当初は2020年4月に上映の予定であったとのこと。)

 「おっ、漠然とだけど、これ、面白そうじゃない?」

 そう、まさしく「直感」。でも、自分が見たいと思う直感って、当たる確率は結構高いんですよね。自分に合いそうかどうか、感覚的にわかるのかなというか。

 

 「女性版の『ルパン三世』」。この見立てはおよそ当たっているなと。

 メインの5人の担当声優は、大物と呼べるのはいませんけど、それを補って余りある濃密なストーリーになっています。ちなみに「メインの5人の中で最もかわいらしいキャラ」であるベアトリス役は、ハチナイのいろはちゃん役の声優です(影山灯さん)。

 作品自体も疾走感が伝わりますけど(54分とコンパクトなのもよい!)、主題歌、特にOP曲の「LIES&TIES」が、とてもテンションが上がる楽曲なんですよ!

 

 で、全6章で構成される劇場版とのことで、この第1章のラスト(エンドロールが終わった直後)で、第2章が今秋に公開予定と告知されてますけど、複数回にまたがって上映される劇場版シリーズ、いわば数年スパンにまたがってになるのですけど、このタイプで「全通」にチャレンジできるのは、この「プリンセス・プリンシパル」が2作品目になります。

 そう、実は「RWBYシリーズ」で「全通」の経験があります。この「RWBY」は、担当声優の熱演が特に素敵ですけど(表現力に優れる声優をずらりと揃えている)、実は貴重な外国産(アメリカ産)のアニメでもあって、作り手の情熱(正直、作画については好みが分かれるかもですが)も伝わり、日本と外国のスタイルの相違を楽しむとかを含めて、学び感じることの多い素敵な作品です。

 (ここでいう「全通」とは、該当する劇場版シリーズの第1シリーズから最新シリーズまでの全ての回を、1階以上は劇場での鑑賞を叶えているという意味です。)

 

 現実としては、全通チャレンジが叶うかどうかは、日程、資金、体調を総合的に考慮してになるのですけど、「これからが楽しみ!」とワクワク感を持てる第1章です。

 

 

 [3本目](『Tokyo 7th シスターズー僕らは青空になるー』[81分])

 (シアター1[DOLBY CINEMA])

 

 通称「ナナシス」。実は先日のブログエントリーの終盤で少し言及しています。ナナシスのファンには正直申し訳ないニュアンスでの内容ですけど…。

 

 

aikyujin.hatenablog.com

 

 

 このブログエントリーの終盤で、ナナシスについて言及しています。

 もともと、ナナシスという作品自体は、以前から耳にはしていまして、ですので興味はあったんですよ。でもアニメになっていた訳ではないので、触れる機会がなかった。

 正直、今回こうして鑑賞させて頂こうというきっかけは、このブログエントリーの執筆が大きいです、これがなければ、恐らく一歩を踏み出すことはできなかったかもと。

 「81分」とありますけど、冒頭の4分間は「舞台挨拶形式」の「フォトセッション」です。ですので実質的な本編は「77分」。これはナナシスにおいて「7」がキーフレーズになっていますけど、「『77分』に強いこだわり」が伝わります。

 

 1回鑑賞させて頂いて、「純粋に一つの映像作品として素敵」と好感でした(鑑賞前は、いわゆる「ファンムービー」になるのかなと想像していたのですけど、プラスの意味で異なる感じでした、そりゃあ根強いファンががっつりつくのは納得だねと)。

 で、今回の鑑賞。正直規模的には大きくなくて、まさか「ドルビーシネマ」で叶うとは大きな驚きでした。まあ、セーラームーンのときと同様に、上映前にがっつりと

 「本作品はDOLBY CINEMA対応作品ではありません。」

 と書いていましたけどね(苦笑)。

 

 本編開始後、程なくしてOP曲になります。その後に9分ほど、メンバー12人の自己紹介を兼ねてのパートがあります。ファンではない自分でも、作品の世界にすっと入っていける工夫がなされていますし、12人それぞれが「キャラ立ち」していますけど、特に主人公の春日部ハルちゃんが、とても輝いて映るんですよ!

 いわゆる「アイドルアニメ」「音楽アニメ」ですので、挿入曲が多く入ります。ライブシーン2回、OP曲、ED曲を含めて、この映画で流れる楽曲数、実に「7曲」!

 

 「77分」という尺ですけど、いい意味でまとまっているんですよ、引き伸ばす訳でも強引にまとめてるわけでもなく、ちゃんと密度になっている。

 この劇場版を通して、一貫して描かれているのが、自分たち(7thシスターズの12人)が活動をする意味は

 「誰かの背中を押す存在でいたいから」

 ということです。それが説得力を持って描かれている、くどさがないのです。

 物語が進むにつれて、12人の輝きが増していくのが伝わる(ハルちゃんは勿論、ムスビちゃん、ヒメちゃんが、要所でいい味を出してるんですよ)。クライマックスのライブシーン、その前後、最高に素敵に映った!

 

 「ゴールライン」という表現が適切かはわかりません、でもこの劇場版が「一つの大きな到達点」として叶ったことが伝わってくる。

 「よかったね、おめでとう、最高に輝いてたよ、ハルちゃん、篠田さん」。

 自分は、見終えたとき、そう強く感じたんですよね。

 ファンではない自分で、とても感動したのですから(特に今回、ラストのライブシーンのときからは、もう泣きっぱなしでした)、ファン(支配人)は、この劇場版が叶ったこと自体が、とても感無量であったと想像します。

 

 (「篠田さん」とは、主人公[春日部ハル役]を演じる、篠田みなみさんのこと。インタビューやツイッター等で「ハルちゃんは自分の声優人生そのもの」と公言している。

 「支配人」とは、ナナシスのファンの呼称。「公式による呼称」です。)

 

 

 大スクリーンで、それも「DOLBY CINEMA」という、いまの日本では恐らく最高の質のスクリーンで躍動する、ハルちゃんたち12人の「ナナシス」のアイドル。

 鑑賞し終えたとき、自分の中で正直強く感じたのは、下記の想いでした。

 

 「ハチナイを、翼ちゃんを、大スクリーンで観たい!

 ハチナイの集大成は、大スクリーンで叶えて欲しい!」

 

 と。一ハチナイファンとしての「わがまま」であることは、わかっているつもりです。現実性が恐らく高くないことも、わかっているつもりです。

 音楽家として著名である坂本龍一さんは、「音楽の力は幻想である」と述べています(でもその一方で、音楽で届けられる想いは否定しない、とも述べていますけど)。

 ですけど自分は、「音楽の力」「映画の力」は恐らく確実に存在する、そう強く感じているのです(これは「アニメの力」「スポーツの力」にも同様のことがいえる)。

 

 それに、声優も「表現者」の一つですけど、表現者として生きる人間の多くが、映画に出ることを一つの到達点とするとも耳にします。映画はやはり、「憧れ」であり続ける独特の存在と想像しますし、自分もいくつもの映画に出会ったことが、いまの自分を形作っていると感じています。

 

 ハチナイは、テレビアニメはすでになされています(2019年に本放送、2020年に再放送が)。実際、「アニメ勢」という言葉があるように、アニメをした意義は確実にあると思いますし、女子野球の存在を社会に知ってもらう一助には確実になったのではと感じます(まあ、現実の女子野球は本塁打は数えるほどしか出ないですけどね)。

 でも自分としては、「ハチナイの物語を、大スクリーンでこそ見たい、これが自分が強く願っていることなんだ」と、今回のナナシスのドルビーシネマでの躍動を通して実感する、気付かせてくれるのです。

 

 で、「ハチサマ5」で、現時点で幻になっているテレビアニメの第13話を、その一部を先行上映しますと告知されています(テレビアニメの1話分は、CM分を抜くと「24分~25分」)。

 

 

 正直に述べます。何故ならば、これまでもこれからもずっと、ハチナイのファンであり続けると強く考えるからです、ハチナイを、翼ちゃんたちを応援し続けるからこそです

 

 テレビアニメ。物語としては素敵でした。うまく言葉にできませんけど、ゲーム版では描き切れない良さは漠然とだけど伝わるというか。

 ですけど、作画。「作画崩壊」という声は聞こえてきていましたし、そこまでとはいいたくないですけど、絵のことに疎い自分でも、「ちょっとこの作画は…」という部分を少なからず感じたのも、正直な感覚です(ゲーム版での絵の質との差異にショックであったのが正直な感覚です。まあ再放送版では、さすがに結構改善は伝わってきましたけど)。

 「ラブライブ」、「アイカツ」、「プリパラ」、「バンドリ」。この辺りは作画のレベルが「圧倒的」ですので、それを基準にするのはかわいそうとは思います(あるいはいま観ている「IDOLY PRIDE」も、作画の質は高いレベルにあると感じます)。

 

 せっかく物語としては素敵で、「ひたむきさ」というハチナイ独特の魅力は伝わってくるのに、作画の質で足を引っ張ってしまった感は正直否めなかった、「もどかしさ」を正直抱き続けてきました。

 (野球はスポーツの中でも、投球、打撃は特に、細かい動きの再現が実は難しいと思うのです、そういうエクスキューズは確かに考慮の必要はあると思います。)

 

 で、テレビアニメ版をした意味は、間違いなくあると思いますし、現にこれがきっかけでハチナイを楽しんでいる人間も結構多くいます。勿論、第13話がいつか叶うときを純粋に楽しみにしている感じでもあります。

 (いまのハチナイの規模自体は、自分の中では「多すぎず少なすぎずで、自分に合っている」と正直感じますし。)

 

 ですけど、いやだからこそ、正直に述べます。これ以上「テレビアニメ版」という方向性に向いているといえるのかと。「25分×12週程度(合計でおよそ300分)」を一気にする方向性が、ベストといえるのだろうかと。

 (勿論、テレビアニメ2期が実現するならば、一ファンとして純粋に嬉しいですし、それが叶えば是非見たいですけど。)

 これは、作画のことも理由の一つではありますけど、それ以上に、

 

 

 「『ハチナイという世界観』を『より濃密に伝える』には、『89分という一つの映画』に凝縮して『ハチナイとしてどうしても伝えたいメッセージ、フィロソフィー』を伝える方が『結晶としてより伝わる』のではないか。」

 (仮にハチナイの映画が叶う場合、規模としては「20スクリーン程度」のイメージ。ちなみにナナシスの劇場版は「20スクリーン」、タガタメの劇場版[2019年6月に公開。118分]は「10スクリーン」でした。)

 (ここでいう「フィロソフィー」とは「理念」のこと。「ハチナイとしてどうしても伝えたいメッセージ」とは、ナナシスの映画でいう「誰かの背中を押す」に相当する部分をいう。)

 

 

 という想いがあるのです。「89分」というサイズは勿論、「89(ハチナイ)」から。ナナシスが「77(ツーセブン)」で「77分」に拘ったように。

 

 そう、「画面で躍動する翼ちゃんたち」を見たいからこそ、やるのならばだらだらとするのではなくて、「凝縮した感じで」やって欲しい!

 そして、画面で躍動する翼ちゃんを描くならば、ハチナイとして「最終的に翼ちゃんたちが辿り着いた景色」を描く感じであって欲しい!

 この想いが、自分が「見たい景色」としてあるのです。

 

 で、映画だと、一つの映画に結実させるために、相応の時間と労力をかける感じになります。そして先述のように、映画は多くの人間の憧れかつ目標の存在であり続けてもいます。

 

 それに、ハチナイは、「作り手側」(担当声優も含めてです)も「ファン側」(ゲームでいう「監督」として楽しむ側の人々。自分もこの一人です)も、規模は大きくはないかもだけど、その熱量は大規模音楽アニメラブライブ、バンドリ等)に決して遜色ないです、いやむしろそれ以上かもしれない

 実際、担当声優側でも、船戸ゆり絵さん(椎名ゆかり役。アニメ版では現時点で実質未登場)、佐伯伊織さん(倉敷舞子役)、芝崎典子さん(塚原雫役。アニメ版では現時点で実質未登場)の3人は特に、「ハチナイに対する強い情熱」が伝わってきます。

 船戸さんはそのガチっぷりから、公式戦(ランクマ、全国大会)では「船戸ライン」という言葉まで登場していますし、佐伯さん、芝崎さんは、ハチサマ開催のたびに、「身も心も舞子(雫)ちゃん」の感じで、ディテールまで近付ける妥協しない姿勢が伝わります。

 

 (4月25日に「ハチサマ5」が開催予定ですけど、特に芝崎さんは、その前日を含めて別作品[「アイドルマスターシャイニーカラーズ」、通称「シャニマス」]のライブにも6公演中5公演にがっつりと参加するのに、「ハチサマにも3年生組の参加時からは参加を続けている」ので、「何事にも目の前のことに全力姿勢」が伝わり、より応援したくなります。自分は雫ちゃんは出場機会は準レギュラーの立ち位置ですけど、このことを知って、舞子ちゃんと雫ちゃんを応援の想いはより強くなりました[まあ右翼手は我が校では宇喜多ちゃんの聖域状態ですが…]。椎名ちゃんはプレイを初めて程なくしてから、推しの一人ですけど。)

 

 

 担当声優でも、いま挙げた3人をはじめ、恐らく何人もの担当声優が、ハチナイに対して強い思いを抱いて取り組み続けていると思います。これは、「想いを言葉に落とし込むのが不得手でも、内に秘める強い情熱の感じ」の担当声優を含めてです。

 (ハチナイの場合、「野球大好きタイプ」の担当声優が数人います、例えば渡部優衣さん[新田美奈子役]、松寄麗さん[花山栄美役]、優木かなさん[月島結衣役]、永野愛理さん[永井加奈子役]等が該当。渡部さんは想いをストレートに伝えられるタイプと映りますけど、永野さんはこの逆で、想いをうまく伝えるのが不得手っぽいけど、ハチナイへの情熱は本当は船戸さん、佐伯さんたちと同等以上に強いのではと、例えばハチ生からも伝わってきますから。)

 

 そう言った担当声優が多くいることを踏まえても、確かにハチナイのキャラ「35人」をみんな登場させるのは現実的には難しいかもと思いますけど(実際、テレビアニメ版では光を当てていたのは「12人」に絞られていました)、「ハチナイ」の一人のファンとして、「たとえ規模が大きくなくても、作り手側もファン側も、その熱量の高さはアニメ界、ゲーム界広しといえども有数といえる」、これに報いる到達点であって欲しいのです

 それに、「ハチナイ」という作品自体、「アカツキという会社にとっても生命線である」訳ですし、そう考えるとなおさら「熱量の高さにふさわしい最終到達点」であって欲しい、そう考えると、その最終到達点は「大スクリーン、つまり劇場版として」こそが最もふさわしいのでは?と思うんですよね

 

 それと、「ハチナイ」の特徴として、「ハチサマ」という音楽ライブが毎年開催されているように、楽曲数が多いのです(正直、時折ですけど、これ野球ゲームですよね?と、ある種の錯覚のような感覚になることがあります)。

 「背番号」「ぬかるみ」「ALL FOR ONE」「摩擦主義」等々、ハチナイには素敵な楽曲がいくつもあるんですよ(ちなみに自分は「背番号」が特に大好きです)。そう言った楽曲を挿入歌として効果的に活用する意味でも、89分の劇場版に全集中の方が、よりしっくりいくのでは?と感じるのは自分だけですかね。

 

 

 繰り返しになりますけど、いつか訪れるであろう翼ちゃんたちの物語の集大成を描く場(勿論、ゲームでも描かれるとは思いますけど)が「大スクリーン、つまり映画として」であって欲しいという願いは、あくまでも「一ファンとしてのわがまま」であるとは思うのです。

 ですけど、例えばタガタメにせよ、ナナシスにせよ、大スクリーンで観た劇場版は、ファンムービーの枠にとどまらない、「純粋に一つの映像作品として素敵な、メッセージ性が伝わる素敵な作品」になっていました。ハチナイだって、この領域にたどり着ける、そう強く信じるのです(それほどにゲーム版でのストーリー描写は、一つ一つが濃密に描かれていると映る)。

 (タガタメの劇場版は、特に「ラスト30分」は、主人公であるカスミが「自分の命をなげうってでも」の感じで、もう「感動で泣きっぱなし」でした、それほどに素晴らしいラストだった。カスミとリズベットの友情の描写も、とても心に響きました。)

 

 携わる人間、参加する人間の一人一人が、そして登場するキャラが「それぞれに人一倍強い情熱を持つ」、これこそが「ハチナイ」の最大の魅力であると自分は思うのです。

 確かに、正直、粗削りさも所々に散見ではあります、例えばゲームでも、未だに「スクイズ」が実装されていなかったりとか(野球ゲーム、しかも女子野球を描いていることに照らせば、「スクイズ」はあって欲しい、現実の女子野球ではより小技、機動力が強調されていることに照らすとなおさら…)。

 ですけど、その粗削りさを補って余りある、ハチナイ独特の「熱量の高さ」。これに見合う景色を、ただ純粋に見たいのです、自分は。

 

 勿論、ハチナイの物語の集大成を、映画で観たいというのは「わがまま」とは思いますし、現実性はもしかしたら高くないかもしれません。予算、時間、労力の問題を考えるとなおさらそうかもしれません(一つの映画を完成させるための労力は想像以上にすさまじいこと、そしてそれを叶えるために生きている人間がどれほど多く存在しているかは、一人の人間として漠然とですが理解はしているつもりですし)。

 でも、うまく言葉に落とし込めていない想いを含めての「気持ち」が伝わると、とても嬉しく思います、これが正直な想いとしてあるのです。

 

 

 ハチナイが大好きだからこその「気持ち」「想い」。

 これがどうか伝わりますように、と思います。

 これからもハチナイを楽しみ続ける想いですし、ゆるく、不定期ながらにですけど、「プレイ日記」も綴らせて頂きたいと思っております。

 今後とも、何卒よろしく御願い申し上げます。