愛球人はてなブログ。

「ラブライブ」(μ’s、Aqours)、「ハチナイ」(和歌山、きのくに未来学園高校)、「俺の甲子園」(和歌山、国立きのくに未来学園高等学校)を中心に、「マイペース」に「想いのまま」を綴らせて頂くブログです。スポーツ、映画、音楽の感想についても、このブログで言及させて頂くことがあります。

【緊急投稿】「#渡辺曜生誕祭2020」の日に、一連のコロナウィルス(COVID-19)のことを踏まえて、いま感じていること(その1。いま感じている素直な気持ち)。

 こんにちは。愛球人(あいきゅうじん)と申します。

 

 今回のブログエントリーのテーマは、

 「『#渡辺曜生誕祭2020』の日に、一連のコロナウィルス(COVID-19)のことを踏まえて、いま感じていること。」

 です。今回は、 「ラブライブ」のブログエントリー記事、第7回になりますけど、「ラブライブ」に絞ってというよりは、より広く、「一人の人間として、いまありのままに素直に感じていること」を、「ひたすらに素直に書き綴る(書き殴る)」感じが趣旨になります。

 あとで、Aqoursのことについても言及しようと思いますけど、むしろ趣旨は、「一人の人間として」の素直な気持ち、こちらにより重きを置いている、それを踏まえた上で読み進めて頂きたく思います。

 

 では、今回の本文を、執筆させて頂きます。

 

 

 このブログエントリーを執筆しているのは、「2020年4月17日」です。

 「4月17日」。そう、曜ちゃん(「ラブライブ!サンシャイン!!」の登場人物の一人、渡辺曜ちゃん(CV:斉藤朱夏さん)の誕生日です。

 自分も、曜ちゃんの「聖地」である、「欧蘭陀館」に3回訪れています。

 欧蘭陀館は、訪れるたびに、学び感じることが多くあります。そしてそれが、「ラブライブ」「Aqours」「曜ちゃん」への愛を深めさせてくれる、「かけがえのない素敵な場所」です。

 (かくいう自分は「箱推し」ですけど、実は最推しは強いて挙げれば「千歌っち」です。理由は「等身大で、自分に対して素直なところが素敵だから」と、「主人公が輝ければ周りも共に輝けると思うから」です。)

 

 「自分のことよりも、周りの人間のことを大切にできる。」

 災害において、「共助」という概念があります(あとの2つは「自助」「公助」)。

 「共助」とは、自分は「思いやり」と言い換えることができると考えていますけど、曜ちゃんの最大の魅力は「思いやり」の心の持ち主であることです。

 

 「私…バカだ。バカ曜だ…。」

 

 『ラブライブ!サンシャイン!!』テレビアニメ1期11話「友情ヨーソロー」の一場面です。そう、あの名曲『想いよひとつになれ』の回です。その中での、「ようちか」の場面、そう、曜ちゃんが泣きながら千歌っちに抱き付く場面です。

 いまでも、特にこの場面は思い出すと、とても感動です。

 曜ちゃんの「根っからの優しい人間性」が凝縮された場面と思うからです。

 

 また、この「1期11話」でならば、この場面より少し前になる、曜ちゃんと鞠莉ちゃんの展望台(びゅうお)の場面も、大好きです。

 

 「それで思ったの…。千歌ちゃん、もしかして私と2人は嫌だったのかなって。」

 「私…なんか要領良いって思われてる事が多くて、だから、そういう子と一緒にって、やりにくいのかなって…。」

 

 先述の「ようちか」の場面、そしていま取り上げた「ようまり」の場面。

 いずれにおいても(勿論、他においてもそうですけど)、

 「自分のこと以上に、周りの人間のことを大切にできる。」

 自分は、曜ちゃんは、「人間として最も大切なこと」ができる、だから大好きですし、だからずっと応援したい、そう強く思えるんですよね。

 

 曜ちゃんでいえば、「WATER BLUE NEW WORLD」。

 (通称「WBNW」。テレビアニメ2期12話で登場。)

 この曲での曜ちゃんも、とても印象的です。

 うまく言葉に落とし込めませんけど、いままでとはまた異なる「新しい曜ちゃん」が伝わり、それをも含めてこの「WBNW」は、自分の中ではとても大好きな曲の一つになっています。

 勿論、先述の「想いよひとつになれ」も、大好きな曲の一つです。

 というか「想いよひとつになれ」は、自分の中では「Aqoursで最も大好きな曲」、そう言い切ってもよいですから。歌詞を文字に起こすと、「人間として大切にしたいこと」が、いろいろと詰まっていると感じますので。

 

 

 曜ちゃんの「聖地」、欧蘭陀館。

 実は、びゅうお(沼津港の近くの展望台)から歩いて15分くらいの、川沿いの場所にあります(沼津駅からも徒歩で15分くらいでしたかね。途中に静岡放送の沼津支局とかも通ったりしますけど)。

 

 御存じの人間も少なからずいるかもですけど、沼津は、いわゆる「東海地震」「3連動地震」のリスクの地域の一つといわれています。で、自分は実は、「阪神・淡路大震災」に小学4年生のときに被災した経験があります(それが自分の「心の原点」になっていますし、自分自身の生き方に大きな影響を与えています。「東日本大震災」の復興支援活動にも、微力ながら関わり続けてきましたし)。

 ですので、それもあって、びゅうお、欧蘭陀館を訪れるときは、「ラブライバーとして」と「防災に向き合う一人の人間として」とが、複雑に交錯しています。

 そこに曜ちゃん(曜ちゃんたち)は生きている、と想像する。そしてその上で、もしも地震(震災)が起こったら、曜ちゃんたちはどうするだろうかと想像しながら、川の景色を眺める感じとしてあるのです。

 

 

www.at-s.com

 

 

www.youtube.com

 

 

same-lovelive.hatenablog.com

 

 

 いま、3つ、リンク添付させて頂きました。

 (さめさん、リンク添付を失礼いたします。)

 

 そう。今年の曜ちゃんの生誕祭は、「#渡辺曜生誕祭2020」と共に、

 「#自宅から曜ちゃんハッピーバースデー」

 も、併せてタグ付けでのツイートがなされています。

 (勿論、必ずしもこの「自宅から~」のハッシュタグが合わせて添付されているとは限りませんけど…。)

 自分も、この「#自宅から曜ちゃんハッピーバースデー」、趣旨にとても強く共感できます。

 

 いわゆる「聖地巡礼」。

 沼津(「ラブライブ!サンシャイン!!」)のみならず、大洗(「ガールズ&パンツァー」)、豊郷(「けいおん」。滋賀県にある町です)、尾道(「時をかける少女」など、大林宣彦監督作品)、竹原(「たまゆら」)などが該当します。

 かくいう自分も、昨年の11月下旬に、京都にて、「HELLO WORLD」の聖地巡礼を決行させて頂きました。

 

 「聖地巡礼」。実際にすることで、学び感じることはいろいろとあります。

 ですけど、この「聖地巡礼」ができるのは、あくまでも「平時」のときです。

 いまはいわば「非常時」(「災害時」「戦時」という表現もできるかもです)になります。ですので、これに照らして考えると、「聖地巡礼」をするのは「いまではない」と強く思うのです。

 そう、「聖地巡礼」は、コロナの終息が叶えば、それ以降はいつだってできるのです(まあ、聖地に向かう資金と日程がネックにはなりますが…)。ですので、「聖地巡礼」を含めて、いまはとにかく「#うちで過ごそう」に尽きますね。

 

 尤も、後述にて言及することになるかなと思いますけど、一人のラブライバーAqoursのファン)として、一人の人間として、正直強く感じていることとして、「Aqoursは、コロナが終息したら、どうなるんだろう…」と、強い不安を抱いていますけど。

 

 

 で、一連のコロナウィルス(COVID-19)のこと。

 確か、3月下旬でしたか、NHKの関西のローカルニュースで、城崎温泉の男性が、

 

 「『阪神・淡路大震災』『東日本大震災』『リーマンショック』が同時にきたような感覚ですね。」

 

 と仰っていました。「言い得て妙」であると自分は感じます。

 ですけど、自分の中での「皮膚感覚」としては、これよりも正直もっと「えぐい」です。

 

 「『阪神・淡路大震災』『東日本大震災』『3連動地震』『関東大震災』が同時にきたような感覚である。」

 

 いや、これでも言い足りないかもしれません。少なく見積もってもこれくらいの感覚はある、とは強く感じますけど。

 一つ言えることは、いずれ後世になったときに、今回のことは歴史の教科書に載ることになるだろうなあ、ということです。それがどのような感じで載るのかは、いまの段階では「想像したくない」感じではありますけど。

 これが、台湾、韓国のような状況でならば、「明日が見えない」という感じにまではならなかったかも、と思います。ですけどいまの日本を覆っているのは、「明日が見えない」、それが正直な感じです。

 

 これは私事になりますけど、自分はかつて、「阪神・淡路大震災」に小学4年生のときに被災しています(西宮で)。この経験もあって、「東日本大震災」の復興支援活動に微力ながらですけど参加させて頂いていました。そしてこの延長線上で、防災について個人的に学び続けている感じとしてありますし、いつか「学び直し」をしたいという想いも、心の中に正直あります。

 そう考えると、例えばこの関西でだと、「上町断層地震」がいつかくるかもしれない、といわれています。実際にきたらどうなるだろう、自分にできることは何だろうということは、一人の人間として「問い続けている」ことです。

 

 「生きていること、それ自体が『尊い』こととしてある。」

 これは特に、東北を訪れて、それを通していろいろな人間に出会って、それを通して学ばせて頂いていることです。

 「自分は、「阪神淡路大震災」で、救われた「いのち」である。」

 これは自分自身を支えてきた想いとして、ずっとありますので。

 

 ですけど、「明日が見えない」という不安も、今回の一連のコロナウィルスのことの過程で、感じ続けてきました。

 というのも、これも私事になりますけど、「新しい挑戦」を今年は控えていました。

 そのために(も兼ねて)、「パソコンの買い替え」という「一大イベント」を抱えていました。

 

 さあいよいよ、パソコンの買い替えの準備を本格化させるぞ。

 そう思っていたタイミングで、今回の一連のコロナウィルスのことが起こりました。

 仕事用を兼ねて使う構想ですので、結構な値段がかさみます。

 しかも現在のパソコンは、実は「vista」です。そう、かなり古いモデル。

 ここまで耐用年数を持たせられていること自体が、正直「奇跡」です。

 というか、資金的な不安もあって、いままで買い替えられずにきた。

 

 いま、「オンライン教育」ということが言われています。いわゆる「ICT教育」と換言してもよいでしょうか。というかこの「ICT教育」のことは、vistaが出て少ししたくらい、つまり東日本大震災の少し前の時点では既に言われ始めていました。

 ですけど、これがいまだに実現できないのは、そのハードルは恐らく一つではないかなですけど、少なくとも資金的なハードルの高さは大きな一因としてあるだろうなあ、と感じています。

 

 そう遠くないうちにコロナウィルスが終息して頂きたい。

 ですけど、終息したら、パソコンの買い替えにできるだけ早く着手しようになるのですけど、「どれほどの資金が必要になるだろう…」と、正直既に恐怖です。必要資金は恐らく跳ね上がるでしょうから、頭の痛いことです。

 ようやく、「一律に10万円を給付」が決まったとのことですけど、パソコンの買い替えの足しにできるといいなあと。それが叶えば、「明日が見えない」が、少しはましになると信じたいですけど。

 

 「明日が見えない」状況に耐えられてどのくらいが限界か。

 「6月末くらいまで」、雰囲気的には、それが一つの目安かなと映ってます。

 勿論、個人差があるでしょう。そこまで持たないという人間も、少なくないかもなあと想像します。

 

 「『夏の高校野球(甲子園での選手権大会)』『インターハイ高校総体)』の開催を、たとえ無観客でもよいから実現させたい。」

 

 恐らく、今回の緊急事態宣言の全国への発動(拡大)の根っこにあるのは、この想いかなと自分は想像しています。

 

 

www.sponichi.co.jp

 

 

 この報道は、大きなインパクトがあっただろうなあ、と。

 まあ、子ども(高校生)の立場のことを考えると、できる範囲で判断はぎりぎりまで待ちたいだろうなあ、と想像しますけど。とはいえそれでも、判断の「タイムリミット」は6月初めにはせねばならないだろうなあ、と想像します。

 

 これは、スポーツの世界に限らず、芸術、そして勉強の世界でもそうですけど、特に自分が心を痛めていることがあります。

 

 「各学校カテゴリーにおける最高学年、つまり、『小学6年生、中学3年生、高校3年生、大学4年生、大学院修士2年生』の子どもの進路がとても心配。

 彼ら、彼女たちのことを考えるとなおさら、1日でも早く学びの場、遊びの場の再開ができるように『社会全体で』分かち合う、努力し合うことが大切ではないか。」

 

 自分は、そう強く思うのです。

 特に、「高校3年生、大学4年生、大学院修士2年生」。

 彼らは、受験や就職が全員共通で待っています。スポーツ、芸術とか一本で進路にかける人間もいるでしょう。あるいは大学受験だと、浪人生も多くいます(しかもこの年度は新制度開始の年にもなる)。

 これらの学年の人間には、下記のことを強く願いたいと思います。

 

 「1年間の浪人(あるいは留年)になっても、その1年間分に必要な諸費用(学費、各種の塾代[予備校、衛星教育、通信教育]など)の一切の免除を強く御願いしたいこと。及び浪人生については、2022年春の入試回までは、旧制度での入試との併用を容認して欲しいこと。この実現を強く願います。」

 

 そう、これはただ単純に、ただ純粋に、「人間としての道」、つまり「人道的な観点」からです。それと共に、

 

 「『夏の高校野球(甲子園での選手権大会)』『インターハイ高校総体)』の開催の実現を、一人の人間として強く願います!」

 

 そう強く願います。たとえ無観客開催でもよい(というか開催を実現させるには、現実的には無観客開催しかないでしょうし)、特に高校3年生にとって、「夏の高校野球」「インターハイ」は特別なんですよね(「ウインターカップ」があるバスケットボール、「春高バレー」があるバレーボールはともかく、それ以外のスポーツ、特に「陸上の短距離、跳躍、投てき」とかはこのインターハイがほぼ全てですから、なおさらでしょう)。

 

 

www.youtube.com

 

 

 これ、「2月26日水曜日」のことです。このブログエントリーから「7週間前」のことです。

 この動画ニュースの「3:27~4:21」の部分。東京都足立区の病院の若い女性医師(黒住裕美さん。福寿会足立東部病院)の、使命感と悲痛さが同居したような姿。

 きっと、医師になりたくてなりたくて、それを叶えたのだろうと想像します。でも、今回のコロナウィルスのことに直面して、とくにこのとき、「マスクが足らない」(及び、この動画ニュースには反映されていませんが、「人工呼吸器も足りなくなりつつある」ことにも言及なさっていました)悲痛さ、いまでも強く印象に残っています。

 そう、これが、緊急事態宣言(東京、大阪などに発動された4月7日火曜日)のときの「6週間前」のことです。この段階で「このままではやばい」状況であった。

 

 この黒住さんは、いまも医師としての「使命感」を持ち続けて、目の前の患者さんに向き合っているんだろうなあと想像します。いま、どうしているのでしょう。

 そして、6~7週間前の時点で「このままではやばい」と医療現場から悲鳴が上がっているのに、状況は変化していない。現場の医療者のことを想うと、なおさら心が痛みます。

 

 

www.tokai-tv.com

 

 

 この記事(現在はこの部分は削除されているようですが…)の一つに、京都で学んでいた女子高校生のことがあります。今回の一連のコロナウィルスのことの影響で、母親に半ば強引に引き連れられて愛知への規制を泣く泣く決断したとのことです。

 この娘さん、帰省を渋っていたそうです。でも母親の立場ならば、感染リスクが愛知でも京都でも大きいならば、自分の目の前にいさせてあげたいというのは、そりゃそうですよね、ととても共感できます。

 いま、この娘さんは元気にしているでしょうか。高校生にして、親元を離れて京都に進学しているということは、恐らくとても「頭脳に優れている」と想像します。

 いつかまたいっぱい学べるときがくるよ、素敵な学校生活を取り戻せるときがきっと来るよ、「明けない夜はない」、だからいまはそれを信じよう。そう伝えたいです。

 

 

 医療に携わる人間(医師、看護師、薬剤師、臨床検査技師など)。

 (今回のコロナのことに向き合う最前線の人々である。)

 教育、福祉に携わる人間(教員、研究者、保育士、社会福祉士介護福祉士など)。

 (教育、福祉も「いのち」に向き合う仕事といえる。教育ならば子どもや若い世代に、福祉ならば高齢者、障がい者に向き合う、「使命感」あってこその仕事といえる。また休校中でも、特に教員は日々子どものことを考えていると想像するので、その意味でも特に労われて然るべきかと。)

 社会安全に携わる人間(警察官、消防士、自衛隊員など)。

 (特に警察官の人々。まさしく「社会のため、人々のため」に全てを捧げる人々といえる。彼らもまさしく「いのち」に向き合う仕事であり、いまは災害時同然といえるのでなおさら、警察官がいてこそ人々の生活がある、平穏な社会があると改めて実感です。)

 市民生活に携わる人間(地方公務員など。特に市役所の人々。また、NPONGO観光協会の人間もこれに該当といえる)。

 (住んでいる地方自治体があるということは、そこに携わる人間がいなければ成立しない。つまり職員が絶対に必要になる。こういう非常時だからこそ市民サービスのニーズがより強くなる訳であり、その意味で彼らだって「いのち」に携わる仕事であることを、今回のことを通して強く考えさせられます。)

 スーパー、コンビニ、各種小売店に勤める人間。

 (スーパー、コンビニ、各種小売店があってこそ、食料品、生活用品が購入できる。「ものを買う」ということは、それに携わる人間がいないと成立しない。自分自身、2018年6月の大阪北部地震の翌日にスーパーを訪れたときのスタッフのひたむきな姿勢に、この有難みを強く実感しました。)

 各種インフラに携わる人間(電車の駅員、運転士、車掌、バスの運転手など)。

 (電車、バスに携わる人間にとっては、よほどの台風や地震でない限り、必要とする人間がいるならば動かす使命がある。そもそも乗り物自体が「いのち」を乗せている訳であり、その意味で彼らも「いのち」に携わる職業といえる。彼らがいてこそ、日々の生活ができることを、地震や台風のとき以上に今回は特に実感します。)

 各種の生き物に携わる人間(動物園、水族館、植物園の職員。飼育員は勿論、獣医師も同様)。

 (人間も動物も植物もひとしく「いのち」ある存在といえる。開園はできなくとも、飼育している動物や植物の世話がある訳ですし、いつの時代でも動物、植物は「癒し」の存在としてある。いま、いくつかの動物園、水族館が動画配信をしていることが話題になっていますけど、「社会的な使命」を強く考えさせられます。そして尊敬の想いがいままで以上に強くなっていますし。)

 メディアに携わる人間(記者、アナウンサーなど)。

 (どんな災害が起ころうとも、いやこういう非常時のときだからこそ、メディアは一分一秒が勝負になる仕事といえる。その意味で彼らも「いのち」に向き合う、携わる職業といえる。メディアがあるからこそ人々は情報を「知る」ことができるので、この重要性をより実感します。)

 

 

 これらの職業に携わる人間にとっては、「テレワーク」は事実上不可能である訳です。そして、2つのことで共通しています。

 

 「いつの時代でも絶対に必要な職業、分野であること。」

 「『いのち』に向き合う、携わる仕事であること。」

 

 いま挙げた分野の人々には特に、「ありがとう。」を伝えたいです。そう強く抱きます。

 その意味で、先日(4月14日火曜日)のNHK総合「ニュースウォッチ9」は、とても意義深い放送回であったと強く感じます。

 

 

 

 

 

 

 このブログで、本垢(リアル垢)のツイートの添付は、恐らく初めてであろうと思いますけど、「一人の人間として」強く実感させられることとしてあるので、今回添付させて頂きました。

 そう、今回のことは、いわば「災害時」同然なんですよね。

 

 そう考えると、この1月に学ばせて頂いた、

 「Making想像力」「公平から公正へ」「人を救うのは人」「支え合う結の精神」

 これらそれぞれがどのようなことであるのかを問い直すことを含めて、これを学ばせて頂く「きっかけ」をくれた高校生に、とても感謝の想いです。

 

 

 気が付けば、とても長くなってしまいました。

 では(その2)にて、「一人のラブライバーとして」という趣旨のブログエントリーをさせて頂きます。そう、「Aqoursはこれからどうなるのだろう?」ということについてです。