ふりりん(降幡愛さん)、最高の景色を共に叶えよう(Aqours4thシングル、その1)!
こんにちは。愛球人(あいきゅうじん)と申します。
「ラブライブ」の本格的なブログエントリー記事、第2回は、
「ふりりん(降幡愛さん)、最高の景色を共に叶えよう!」です。
そうです。Aqoursの4thシングルのセンター投票のことです。
(http://gs.dengeki.com/sunshine_tohyo/)
いま、リンク添付させて頂いた、このページのことですね。
では、本文を、綴らせて頂きます。今回は、書簡形式を用いさせて頂こうと思います。勿論、一人でも多くのラブライバーに、自分の想いが伝われば、そう強く抱くからです。
ふりりん(降幡愛さん)へ。
まだ、あなたに、直接手紙を書いたことはありません。
いつか、「ありがとう」の手紙を書きたい、と思っていますけど、自分自身がなかなか時間が取れていなくて、気が付けばここまで来ている、それが正直な感覚です。
ありがとうございます
— 降幡 愛 (@furihata_ai) January 25, 2019
皆さんからの愛、すごく伝わってます#lovelive
いま、あなたのこのツイートを添付させて頂きましたけど、このツイートを踏まえて、あなたにこうして、「心の手紙」を書いています(ピンク色がないので、色替えは赤色で代用させて頂きますことを、何卒御許し下さい)。
勿論、実際の本当の手紙は、5thライブまでに、ちゃんと書こうと思っていますけど。
Aqoursのことは、「18人箱推し」、1stライブのときから、自分はずっとこのスタンスです。これ自体は、これまでもこれからも、恐らくずっと変わらない、そう強く感じています。
とはいえ、やはり一人の人間ですので、推し(好き)の程度にはどうしても濃淡が出てしまいます。自分もそうです。
キャラ(登場人物)でだと、「千歌」ですし、担当声優(メンバー)でだと、「あんちゃん(伊波杏樹さん)、あいにゃ(鈴木愛奈さん)、すわわ(諏訪ななかさん)」、このあたりが、特に強い推しになります。
あなたに対する推しの度合いは、うーん、その時々によって変化はあるかもですけど、およそ、「4~7番目」で推移しています。
でも、あなたのことは、不思議と気に掛かる存在であり続けてきました。それは勿論、プラスの意味でです。目立つ訳ではないけど、独特の魅力を感じるというか。
実は自分は、細々とですけど、「ウィキペディアン」として活動してきています。
尤も、昨年5月を最後に、活動休止中ですけど(そう遠くないうちに、活動再開したいと思っていますが)。
あなたの記事、特に「活動・人物」に関することも、多くの部分で、自分が綴らせて頂いてきました。尤も恐らく、1stライブを少し過ぎたあたりまでしか反映できていなくて、あなたの活動への想いや、人物的な特徴を、より掘り下げた加筆修正は、恐らく、あなたの誕生日(2月19日)を少し過ぎたあたりになりそうですけど。
ふりりんに対する関心を抱くようになったきっかけは、勿論、「黒澤ルビィ」を通してですけど、「独特のかわいらしさ」を持っているなあ、と。必ずしも万人受けしそうな感じでもなければ、いかにも華がある感じでもない感じだけど、「この人と友達になれると、きっと心が晴れやかになれそう」、そんな感じに映ったんですよね、声優雑誌でのあなたのインタビューを拝読した、第一印象として。セミロングの髪型も、なんだか懐かしいです。
そんなあなたに対する解釈が一気に上がったのが、あの1stライブです。
最初から最後までずっと、あなたは「ルビィちゃん」であり続けた。
「人一倍のプロ意識」を証明した、そう、まさしく「身も心もルビィちゃん」だった。
一途に「声優一本で勝負しようという姿勢」も、個人的には素敵と感じます。
(他のメンバーは、程度の差こそあれ、将来的に「歌手」または「女優」としても勝負することをにじませている感じですので。まあ自分は、音楽でμ’sを好きになった経緯があるので、一人でも多くのメンバーに歌手として輝いて欲しいと思っている感じでもあるのですけど。)
それに、ツイートやインタビューで時折見せる、「故郷(長野県出身)への強い愛情」。ふりりんに、輝いて欲しいと強く抱く理由の一つが、これです。
どのような人間も、「影響を与える要素」が恐らくいくつも積み重なった上で、その人の「個性」が作り上げられると思うのですけど、ふりりんを支えた大きな一つが、「故郷(長野)への感謝、誇り」であると思う訳です。
いわば、μ’sでいう、うっちー(内田彩さん)の「群馬への愛」と、自分の中では重ね合わさって映るんですよね。
で、ふりりんといえば、「おちゃらけ」というイメージを持つ人間も、恐らくいらっしゃるかもしれません(特に「浦の星女学院生放送」を通してだと)。
でも自分は、「おちゃらけキャラ」は、まあ確かに、ふりりんの持つ一面と言えばそうかもですけど、それはふりりんが、彼女なりに、
「Aqoursの成長のために、自分にできることとは?」
を、精一杯考えた結果見出したことではないか?と思うんですよね。
自分は、ふりりんは本質的には「不器用」であると思っているんですよね。
よくも悪くも、「まっすぐ」「一途」な感じ。
それを示唆するエピソードが、2つあります。
[1]Aqoursのオーディション時に、「私は『ラブライブ!』が大好きです!」としか伝えられずに泣きっぱなしで終わった。→結果は合格。それでカフェで思わず「やったー!」と叫んでまた号泣した。
[2]Aqoursの1stライブ2日目の「想いよひとつになれ」(あの伝説の場面)で、ふりりんは舞台上で泣いてしまった。いあにも泣き崩れそうなとき、きんちゃん(高槻かなこさん)、しゅかしゅー(斉藤朱夏さん)に慰められていた。
自分も「泣き虫」で、「よくも悪くも、『まっすぐ』だよね」といわれます。
ですので、ある種「自分と重ね合わさって映る部分」があるから、応援したくなるのかな、と思うのです。
あんちゃん、あいにゃ、すわわは、「μ’sが大好きで、自分も『ラブライブ』の一員になりたいと強く思っていた」と、しばしば公言しています。
特に、あんちゃんは、「μ’sの応援上映に参加していた」といいますし、あいにゃに至っては、その溢れ出る「ラブライブ愛」「μ’s愛」を、ライブのMCであらわにするほどです(だから、すわわを含めて、「永遠にずっと応援し続ける」と強く心に誓う訳ですけど)。
でも、ふりりんは、「自分だってμ’s、ラブライブが大好き。自分もいつかその一員にと思っていた」、態度は明らかに示さずとも、それをにじませている部分があるのかな、と感じてます。まあ、そういうところからも、ふりりんの「控えめさ」が示されているといえるでしょう。
そんなあなたですけど、1年ほど前のいまごろは、すさまじい逆境であった、と感じています。そう、2017-2018シーズンにおける、FMTツアーの沼津公演、福岡公演の時期です。
「#こえかけてくれてありがとう」。
あのときのインスタグラム。ふりりんの、そのときの「ありのままの気持ち」を綴った。少なくとも自分は、そう解釈しています。
それが、FMT沼津公演の数日前であったと記憶します。
その直後から、あなたをめぐる状況は、「突風のような逆風」であったと思います。
ないことないこと、いわば「いわれなき批判」。それがツイッター、各種掲示板(まとめサイトを含む)にて飛び交っていました。
「ふりりんは、誤解されている!人一倍の『プロ意識』の持ち主であるふりりんが、それに反するようなことをするはずがないし、まして、ふりりんは、よくも悪くも、『一時の感情で動く』ことであったり、あるいは『計算高く動く』感じの人間ではないはずだよ!」
そう、心の中で強く抱き続けていました。
あのときの「こえかけてくれてありがとう」。言葉通りの、「それ以上でもそれ以下でもない」、いわば「自分に気づいてくれたこと、応援の気持ちを伝えてくれたこと、それ自体が嬉しかった」、ただそれだけのことでしょ?と。
それでどうして、「いわれなき批判」をされなきゃいけないの?ましてや、誰か一人がいなくなって、「Aqours」という「アイデンティティー」「フィロソフィー」は成立し得るの?それを想像できていないの?
自分の中で、「悲しみ」が深まる一方になっていました。
ふりりんは、こんな「いわれなき批判」につぶされてはいけないんだ!一人のファンにできることは限りがあるのはわかっているけど、何かできないだろうか?
そのような中で、こんなハッシュタグが生まれました。
「#ふりりん元気だして」。
これに強い共感を抱いた自分は、何かを伝えずにはいられなかった。
だけど、ふりりん、ルビィちゃんを生きようとする姿勢、自分はそれがとても素敵と思う。いわば「妥協を決して許さない」こと。
— 愛球人(ラブライブ垢。Aqours劇場版開幕) (@loveliveoneness) December 15, 2017
特にライブにて、最後までルビィ声を貫くって、とても高い技術が必要な訳で。
それと、故郷(長野)への愛。これもふりりんの魅力の一つと感じてます。#ふりりん元気だして
きっと、ふりりんは、とても辛いはずだ(優しくて繊細な心の持ち主と感じるからなおさらでしょう)。
— 愛球人(ラブライブ垢。Aqours劇場版開幕) (@loveliveoneness) December 15, 2017
だけど逆境の中でも、昨夜のhoneyworks作品に参加できる喜びのツイート、前を向き続ける姿勢に感動だし、だからこそ今日の沼津公演、ふりりんにありったけの応援をと強く願う。#ふりりん元気だして
いま、2つほど、自分のツイートをリンク添付させて頂きました(実際は、ハッシュタグに乗っかって、7連投のツイートになっています)。
また、2018年2月の「#降幡愛生誕祭2019」の際のツイートでも、
「声を掛けてくれてありがとう」。
— 愛球人(ラブライブ垢。Aqours劇場版開幕) (@loveliveoneness) February 19, 2018
読んで字の如く。それ以上でもそれ以下でもないはず。
少なくとも、自分はそう解釈してますし、自分も仲間もファンも笑顔にしたい、あいあいは、ただその一心の願いであるはずと自分は思うのです。#降幡愛生誕祭2018 #lovelive #Aqours
この解釈は、いまも変わっていません。というかこれからもずっとそうでしょう。
沼津での公演という、Aqoursにとっては特別な舞台を、ぶちこわされてはいけないんだ。
それにふりりんが、この逆境を乗り越えるには、ファンの温かい応援こそ必要なはずだ!と。
結果は、ふりりんは、逆境をもろともしないパフォーマンスだったと伺っています。
でもその後も、あなたはこの逆境を乗り越えられているかなと、正直心配な感じでいました。ですので、動向を温かく注視する、そのようなかんじで、あなたのことをとらえていた感じです。
でもその後のあなたは、少しずつだけど、でも着実に、一人の声優としても、一人のAqoursのメンバーとしても、そのプレゼンス(存在意義)を高めてきた、そう強く感じます。
2ndライブ、西武ドーム公演での「真夏は誰のモノ?」。
3rdライブ、西武ドーム公演での「SKY JOURNEY」。
そして、4thライブ、東京ドーム公演、Aqoursシップでの姿。あるいは、「My舞 tonight」。
あの「My舞」は、楽曲が「化けた」こともですし、ふりりんにとっても、「一つ上のステップへと歩みを進めた」感じになったのではないかな?と思うのです。
ああ、この時点で、既に長くなってしまっていますので、続きを、(その2)にて綴らせて頂きたく思います。