愛球人はてなブログ。

「ラブライブ」(μ’s、Aqours)、「ハチナイ」(和歌山、きのくに未来学園高校)、「俺の甲子園」(和歌山、国立きのくに未来学園高等学校)を中心に、「マイペース」に「想いのまま」を綴らせて頂くブログです。スポーツ、映画、音楽の感想についても、このブログで言及させて頂くことがあります。

Aqoursの劇場版、応援上映の開幕に向けて感じること(その4。応援上映に向けて、参加時に留意してほしいこと)。

 こんにちは。愛球人(あいきゅうじん)と申します。

 

 「ラブライブ」の本格的なブログエントリー記事、第1回は、

 「Aqoursの劇場版、応援上映の開幕に向けて感じること。」です。

 

 (その1)では、「Aqoursの劇場版の私見的感想」を、(その2)では、「Aqoursの劇場版の楽曲分析」を、(その3)では、「何故応援上映が命綱であるのか」を、それぞれ綴らせて頂きました。

 では、(その4)では、「Aqoursの劇場版の応援上映に向けて、参加時に留意してほしいこと」を、「μ’sの劇場版の応援上映の反省を踏まえて」を交えながら、綴らせて頂きたいと考えております。

 

 では、Jimdo時代の記事のリンク(μ’sの劇場版の応援上映の考察記事)を添付させて頂きますので、それを閲読した上で、読み進めて頂ければと思います。

 

 

aikyujin.jimdo.com

 

 「応援上映」が「生命線」である理由。それは、

 

 「応援上映』は、『リピーター』が前提であり、その作品のファンの中でも、『特に熱心なファン』を主たる対象にしているから。ですので、最初の手応えがある程度以上できれば、『応援上映自体のリピーター』を高確率で見込めるので、そこに『大きなブースト要素』が生まれるから。

 

 そう強く考える訳です。

 

 この応援上映のメリット」を最大級にフル活用して成功した(そして「社会現象」へと上り詰めた)のが、「μ’s」の劇場版です。

 ですので、今回の応援上映は、「あのときの感動を再び」、これが、根っこの感じになります。

 

 (図解5)『ラブライブ!』における『応援上映(声出し可能上映。いわゆる『ありがとうProject』をも含みます)』が、特に盛んであった劇場リスト。
 (あくまでも、自分の主観であることを、何卒御許し下さい。)
 ☆は、自分が応援上映で参加した経験がある劇場。
 ★は、劇場版本編がロングランされた、あるいは最終上映が応援上映であった劇場。
 ※は、劇場版本編が2016年6月に再上映された劇場(応援上映かどうかは問いません)。
 ◎は、「ありがとうProject」において、アニメ版のオールナイトが開催された劇場。

 ▲は、今回のAqoursの劇場版本編の応援上映の開催劇場。

 (1▲)新宿ピカデリー(★※◎)
 (2▲)川崎チネチッタ(☆★※)
 (3)MOVIXさいたま
 (4)京成ローザ10(★※)
 (5)MOVIX伊勢崎(★※)
 (6▲)札幌シネマフロンティア
 (7▲)ミッドランドスクエアシネマ(☆◎)
 (8)TOHOシネマズ東浦(★)
 (9)大阪ステーションシティシネマ(☆※◎)
 (10▲)なんばパークスシネマ(☆★)
 (11)MOVIX京都(☆★)
 (12)MOVIX倉敷(※)
 (13▲)T・ジョイ博多

 (番外1▲)シネマサンシャイン沼津

 

 いま、(図解5)で示したように、μ’sの劇場版(ありがとうProjectを含めて)では、それこそ大きな盛り上がりを見せていた訳です。

 ですけど一方で、いろいろと問題もあったのも、正直な感覚です。

 

 (図解6)「自分が考える、『応援上映(声出し可能上映)』における『NG行為』。」
 (『ラブライブ!』のみならず、他作品をも含めてです。)

 (1)「キャラdis」「声優dis」(『μ‘s』の場合、「真姫ちゃんビッチ」が代表例)。
 (2)「下ネタ」「淫夢ネタ」(キャラdisと同等のNG行為と自分は考えます。)
 (3)「走り回り」「柵越え」「ジャンプ行為」(視界を遮られる、振動が起こりやすい、等の問題が生じ得るため。特にジャンプ行為は、振動を誘発しやすく、他のスクリーンにマイナスの影響を与え得るのでとりわけアウトです。)
 (4)「mix」「NGコール」(ここでいう「NGコール」とは、「楽曲の世界観にそぐわないコール」、というイメージです。いわゆる「KKEコール」が代表例。また、「mix」は「NGコール」の象徴と自分は強く考えます。)
 (5)「(シリアスシーンでの)行き過ぎた叫び」(物語において制作者側が「特に伝えたいこと(言いたいこと)」に該当する部分や、明らかなシリアスシーン[BGMの曲調等で判別できるはず]では、声出しはしない[出てしまっても控えめの声量にすること]ことが特に大切かなと。これにより、「メリハリ」が生まれ得る感じですし、「のべつ幕なく」はよろしくないかなと強く抱くので。)

 

 いま、わざわざ「応援上映での望ましくない行為」を列挙させて頂いたのは(他の作品では、わざわざこんなことを述べる必要性はない!)、μ’sの劇場版(及び、ありがとうProject)では、そういう「問題行為」が、現実にあったからなんですよ。

 では、今回のAqoursの劇場版の応援上映の上映7劇場、μ’sの劇場版ではどんな感じだったのか、言及しようと思います。

 

 (図解7)Aqours応援上映の上映7劇場、μ’s応援上映ではどうだったか?

 新宿ピカデリー(通称「新ピカ」。説明不要の「劇場版の聖地」。盛り上がりも恐らく「No.1」。まあ、恐らく最精鋭しかいない。ですけど、μ’sの「ありがとうProject」では、「スタンディングNG」を食らってしまう悲しい過去も)

 川崎チネチッタ(通称「チネチッタ」。μ’sの劇場版の応援上映では、「最高の盛り上がり」を見せていた[劇場版本編での応援上映のロングラン、ここが最も長かったはず]。ですけど一方で、「下ネタ」の巣窟でもあり、自分たちで「動物園」といってしまう有様。回によって、「合う合わない」の落差がかなり激しそうな感じが)

 

 ミッドランドスクエアシネマ(μ’sの劇場版本編では、正直盛り上がりは乏しかったと伺う。しかし「ありがとうProject」で完全に「化けて」、そこからは「すさまじい熱量」の劇場で知られるように。盛り上がりは断言してよいレベルですが[だって正直、大阪より楽しかったから!]、名古屋はラブライブアニクライベントが盛んなのですけど、アニクラ的なノリに悪い意味でならないかという不安も)

 なんばパークスシネマ(μ’sの劇場版でのクリスマス応援上映、及び、「ありがとうProject」で参加した際の経験を述べると、正直はっきり述べます、ガチの「動物園」です。盛り上がりについては断言できますけど、マナーは「お察し」というか…、と[ですのでAqoursのLVでは、パークスシネマだけはできるだけ避けるようになったほど]。それと、大阪もラブライブアニクライベントが盛んなんですよね。これがどう影響するのか、と。個人的には、ここで参加予定の立場としては、μ’sの劇場版に比して、メンバーがどれほど入れ替わっているのかに注目したいと思っていますが)

 

 Tジョイ博多(「ありがとうProject」になって、盛り上がり劇場に挙げられるようになった印象。特に害悪[厄介]が現れる訳でもなく、という印象ですけど、設定されている座席数が少なめなのがマイナス。ここと沼津については、自分はまあ楽観的なのですが)

 札幌シネマフロンティア(通称「シネフロ」。まあ、「チネチッタ」「パークスシネマ」に匹敵する「3大動物園」、TL越しでですけど、そういう印象を自分は抱いてます。AqoursのLVになってからは、害悪[厄介]は沈下傾向の感じですけど[これはパークスシネマもほぼ同様と伺う]、果たしてどうなるか。というのも、こういう害悪は、「μ’s原理」になったか、「ライブ現地参加率が高い」か、このどちらかの可能性が高いのでは、と自分は思ってるんですよね…。懸念が杞憂に終わればよいのですけど…)

 シネマサンシャイン沼津(Aqoursの作品上の聖地ですし、沼津への恩返しの意味でも、ここでの応援上映の開催は、まあ当然でしょう、と。AqoursのLVでの盛り上がりも◎ですし、害悪報告も特になしのようなので、まあ大丈夫でしょう)

 

 およそ、そのような感じですけど、実は自分、意識的に「応援上映」と述べています。

 というのもμ’s応援上映は、「μ’sとみんなのスペシャルステージ」というのが正式名称でしたけど、ファンの間では勝手に「絶叫上映」と付いていたんですよね。自分、「応援上映勢」でしたけど、この「絶叫上映」という表現は、「強い違和感」を抱き続けていました。と申しますのも…、

 

 「『絶叫上映』という表現は、明らかな『ミスリード』『齟齬』を引き起こす要素になってしまった。いくつもの課題が噴出したのは、この『絶叫上映』という表現を許してしまったことが少なからず大きいのではないか?」


 と、自分は強く抱いているのです。どういうことか。


 「応援上映」(→「参加者」『が』「登場人物(キャラ、声優)」『を』『応援』する。)
 「絶叫上映」(→「参加者」『が』「登場人物(キャラ、声優)」『に対して』『絶叫』する。)


 そう。一見、似たような表現に映るかもですが、

 「応援上映」(→「主体」は「登場人物(キャラ、声優)」である)
 「絶叫上映」(→「主体」は「参加者自身」である)


 少なくとも、自分はこう解釈しています。それ故に、『ミスリード』『齟齬』『勘違い』を誘発することになってしまったのでは?と自分は感じているのです。

 先述のように、「声出し可能上映」は、自分はむしろとても肯定的です(むしろ、テイスト的に合致し得る作品であれば、実写、アニメを問わず、もっと普及して然るべきと強く抱く。実写の青春映画、学園映画では特にもっと導入されてもよいのでは?と自分は強く抱いています)。
 ですが、この「声出し可能上映」においては、

 「(自分たち)参加者は、『登場人物を』最高に輝かせることの『お手伝い』に徹するべき。主体は『登場人物』であって、参加者自身は『サポート』が使命であることを心に留めることが、とても大切なことであるはず。」

 このように、自分は強く抱く感じとしてあるのです。

 そう。「絶叫上映」という表現が、『ラブライブ!』(μ‘s)では基本的な表現になってしまったが故に、

 「ルール(注意事項)に明記されていなければ、何をしてもよい(という勘違い)。」

 が、少なからず起こってしまった。その結果、いくつもの問題行為が、(程度の代償はともかく、)まあ、「ありがとうPJ」をも含めて、ほぼ毎週のようにTwitterのTL上に登場する有様で、正直とても悲しかったのです。

 

 ですので、時間が押していますけど、「とにかく問題だけは起こさないで欲しい」、そう強く抱く感じなんですよね。

 

 では、Aqours応援上映、悔いのないように、思う存分楽しんでいきましょう!