Aqoursの劇場版、応援上映の開幕に向けて感じること(その1。Aqoursの劇場版の愛球人的な感想)。
こんにちは。愛球人(あいきゅうじん)と申します。
「ラブライブ」の本格的なブログエントリー記事、第1回は、
「Aqoursの劇場版、応援上映の開幕に向けて感じること。」です。
構想としては、4レスに分けて執筆させて頂こうと考えております。
「(1)Aqoursの劇場版の感想(ネタバレありです)。
(2)Aqoursの劇場版の楽曲分析(あくまでも私見ですけど)。
(3)Aqoursの劇場版、応援上映の開幕に向けて(その1。いま、Aqoursが置かれている状況。及び、μ’sの応援上映ではどうだったか)。
(4)Aqoursの劇場版、応援上映の開幕に向けて(その2。今回の応援上映において、望ましい行為、及び、望ましくない行為)。」
これが、およそのアウトラインになります。
なお、これから考察を読み進めて頂くにあたって、下記の2つの記事をあらかじめ読んで頂いたうえで読むことを、強く推奨させて頂く感じです(特に、Jimdo時代の記事一覧のブログエントリー記事を中心に)。
リンク添付させて頂きます。
では、1レス目として、「Aqoursの劇場版の感想」を、綴らせて頂こうと思います。
結論から述べましょう。
(図解1)自分(愛球人)が考える、「Aqoursの劇場版の感想」。
「全体としてみれば、『伝えたいこと』は一貫した感じで描写されている。
だけど、よくも悪くも『ファンムービー』の域を出ない感じで、しかも1回見ただけでは『伝えたいこと』をつかみ辛い感じが少なからずあって(実際自分は、1回目は『ラスト、何を言いたかったの?さっぱり分からない…』、それがまず真っ先に抱いた違和感でした)、『よくみると素敵なんだけど、いろいろともったいない感じが否めない作品だよなあ…』と。
というか、『沼津のプロモーションムービー』(オープニングなんかは特に完全にそれ!)と解釈すると『すとんと落ちる』感じ。その一方で、よくも悪くも、余韻を感じさせる終わり方(少なくとも、きれいさっぱりな完結を示唆するμ’sの劇場版のラストに比してだと、このテイストは明らかと感じた)を含めて、1回見ただけでは、いろいろと疑問や違和感を与える(意識的にそう作った可能性もあるが)感じが否めずで、ある種『あざとい』感じも正直抱いた。
演者の演技自体は、テレビアニメに比して大きく成長が感じられて、純粋に一本の作品として高い質を感じさせる(特に、ふりりん、しゅかしゅー、すわわは大きな成長を感じられたし、ありしゃは映像経験をうまく落とし込める感じになっていた)。月ちゃんの描写、演技も個人的には素敵!と感じた(演者を見て、「おお、そりゃすごいと感じるはずだわ」と感じました)。
ただ、ギャグ要素がμ’sの劇場版に比して目立っていて(コメディエンヌ的な描写を意図していたのかもだが…)、それについては、合わない人はどこまでも合わなさそう…、と感じた。
それにμ’sの劇場版は、純粋に一本の映画作品としてまとまっているんですよ。テレビアニメを知らない人間にも、(最低限の登場人物さえ押さえておけばですけど、)ついていける感じに工夫がなされている(現に自分がそうでしたので)。
でも今回のAqoursの劇場版は、テレビアニメを(少なくとも、ある程度以上は)知っていないと、恐らく流れについていけないのでは…?と。その意味で、「よくも悪くも『ファンムービー』」と感じるんですよね。
楽曲については、「Disappointed」(失望)はない。だけどその一方で、「Excellent」(最高に素敵)といい切れる感じがある訳でもなくで、どれをとっても「70点~90点」(というか、野球選手に例えれば「打率.300はできるが、試合を支配できるほどではない感じ」)を多く揃えた感じ、と正直感じています。
そもそもμ’sの劇場版が、アニメ映画の歴史でも『最高レベルの傑作』であり(特に、穂乃果ちゃんの『飛べるよ、いつだって飛べる』からの『大ジャンプ』の一連の場面、あるいは、そこからのラスト、とりわけ、解散を決断する場面や、ラストの『僕たちはひとつの光』の場面は、あれほどの圧巻ぶりを再現すること自体がとても至難の業かと)、あれを再現するのはそもそも事実上不可能とは想像できたので、『μ’sの劇場版の70%~80%程度』が一つのラインと思っていましたけど、よくも悪くも、その感じに収まった印象。
『いい作品』ではあるけど、いろいろともったいない、もっとこうできたところはあったはずだよ…、という感覚を、自分は正直抱いています。」
結論といいつつ、この時点で既に長くなっているかもですけど、これが、自分の正直な感覚なんですよね。
「『いい作品』だけど、『いろいろともったいない』。」
これに、自分の正直な想いが集約されている感じですけど、ではまず、概略的にどのような感じだったのか。
(図解2)Aqoursの劇場版、「よかった点(◎)」と「もっとよくして欲しかった点(▲)」。
(1)「よかった点」。
◎沼津の魅力をできるだけ伝えよう、というのはとても伝わった。
◎演者一人一人の成長(特に、ふりりん、しゅかしゅー、すわわ)。
◎月ちゃんの描写、演技(さすが、黒沢ともよさん!また伝説を一つ生み出した!)。
◎ルビィちゃん、鞠莉ちゃんの葛藤の描写(特にルビィちゃんは、こんなに成長したんだというのが伝わった感じ)。
◎「たとえ置かれた立場は離れようとも、心は永遠につながっているよ」というメッセージ(伝え方に改善のしようはあったとも思いますが、伝えたい趣旨にはとても共感できます。きれいさっぱり終わらせるだけがすべてではないかも、と。まあ、これからどう描くの、どうラストへと向かっていくの?という疑問は残りますが)。
(2)「もっとよくして欲しかった点」。
▲楽曲において、「fwfw」楽曲が恐らく1つもない!(そもそも「PPPH」要素もほとんどない訳だけど、「fwfw」が1つあるだけでも、「応援上映」における「見せ場」「破壊力」が一気に上昇し得ると思うのですけど…[会場における「熱量」が全然異なると感じるんですよ]。ここが特に落胆でした、自分的には!)
▲ギャグ的な描写が必要以上に多い感じ(合わない人間には合わなさそう…。尤もラブライブが大好きだから見る訳ですけど、自分、本来はギャグ的な描写はむしろ苦手なんですよね…)。
▲曜ちゃんの描写(個人的にはむしろ活躍していると思うけど、もっと出番が合って欲しかったという解釈も結構見かける。で、ある回でそれを意識しながら見返していましたけど、千歌ちゃんと梨子ちゃんが、海辺で話す描写の場面があるのですけど[前半20分~22分あたりかな]、そこで曜ちゃんも登場させれば、あの場面がより「意味」を持たせられたのではないかな、とは、正直感じました。それを除けば、自分的には曜ちゃんの描写は、よさがにじみ出ていて肯定的に解釈しているのですけど)。
▲花丸ちゃんの描写(よくみると、それなりに「意味」は持たせているのかな、野感じではあるのですけど[特にイタリアの階段の場面]、とにかく、よくも悪くも「食べる」の描写でほぼ一辺倒。なんというか、2回目の鑑賞時までは「ネタ要員」の感じが否めなくて、と)。
ざっくり述べれば、このような感じですけど、自分的には、特にラストの描写。
余韻を残すような描写、あるいは、鑑賞者に想像させることを促すような描写。
このスタイル。近年、実写、アニメを問わず(どちらかといえば実写で多い印象)、増加傾向であるように感じます。
まあ、きれいさっぱりハッピーエンド(例えば、「ヒロイン失格」「プリンシパル」「ママレード・ボーイ」とかはそのような描写でした)がすべてではない、とは思いますけど、うーん、これも賛否両論あるだろうなあ…、と、1回目の描写で感じたんですよね。
鑑賞者に「疑問」「違和感」を提示して、その「疑問」「違和感」を解き明かすために、2回目、3回目とスクリーンへと導く。
まあ正直、自分自身、「μ’s」の劇場版に何回も通うようになった理由の一つに(勿論、純粋に感動した、特にラストの「僕光」が最高に素敵だったからが、最大の理由ではあるのですけど)、穂乃果ちゃんと、謎の女性シンガーがNYで言葉を交わす(想いを交える)場面での「疑問」を自分の中で理解したい、という要素が強くあったので、必ずしもマイナスではない、というかむしろプラスなことは結構多くある感じですけど。
この時点で、既に長いですね(汗)。
では、(その2)において、Aqoursの劇場版の楽曲分析をさせて頂こうと思います。